1998年 平成10年 大型デパート時代到来。田舎が一気に都会にヘンシーン! |
![]() センター南駅に港北東急が相次いでオープン Yokohama Walker誌にも紹介されるようになり、当地の地下鉄駅の乗降客が激増する。 港北東急前のスキップコートを使い、その後、色々なイベントが開催されるようになった。 右の画像はその後、スキップコートで開催された満席の観客を迎えたクラシックコンサートの様子。 |
1999年 平成11年 テレビロケ人気高まる。金妻の夢よ、もう一度 |
![]() ![]() 16年前の「金妻」で初めてテレビロケが隣町のたまプラーザ駅に来て以来のことである。 当時は毎週のようにあちこちで右の画像のようなロケが見られた。 翌2000年 治安対策として当時、住民の要望が大きかった都筑警察署がオープン。 免許の更新も便利になった。 |
2000年 平成12年 街のランドマーク大観覧車の花が咲く |
![]() ![]() この日10万人の人出。写真左はオープン当日の日本テレビ 朝6時の天気予報での生中継の様子。 4月8日、9日桜の名所で有名だった都筑区大丸の大手企業のグランドで最後の「お花見会」が開かれた。 同グランドには樹齢3,40年の桜の巨木100余本があり、毎年、桜の季節にはグランドが解放され区民の絶好の花見スポットだった。 そのグランドは大手マンション会社に売却され、その後、伐採された。 ここに静かに桜の名所が消えた。画像右は最後のお花見会の様子。 この頃、クリスマスシーズンになると港北ニュータウン、近隣地域では一般住宅でイルミネーションの装飾がブームとなった。 最盛期のハウス・イルミネーションはこちら |
2001年 平成13年 地下鉄4号線(グリーンライン)、工事着工 |
![]() だがこの時点で用地買収は46%にとどまり、開通は2007年以降と報道される。 画像はセンター北駅の4号線(グリーンライン)建設前の花畑 4月昭和大学横浜市北部病院が開院。 この頃からニュータウン中央周辺を中心に休日の交通渋滞が大きくなりはじめる。 |
2002年 平成14年 ワールドカップに燃える |
![]() ![]() 橋の完成により最後に残った主要幹線道路(佐江戸・北山田線)が開通。画像左は建設中の都筑大橋 また橋周辺部の中央地区の整備も進む。画像右は造成中の中央地区(都筑中央公園より撮影) 3月28日あざみ野駅が急行停車駅になる。 6月9日ワールドカップ 日本対ロシア戦が隣接する新横浜の横浜国際総合競技場で開催され、全世界に中継された。 そして6月末の決勝戦もここで開催された。(横浜国際総合競技場は2005年に日産スタジアムに改称) |
2006年 平成18年 市営地下鉄の呼称決まる |
営業中の市営地下鉄3号線が「ブルーライン」と呼称が決まり、建設中の4号線は「グリーンライン」と決定された。 わかりやすいけどあまりに平凡な名前になんだかなぁ〜 3月 センター北駅と南駅を結ぶ自転車歩行者専用道路みなきたウォークが開通。 「みなきたウォーク」を中心に早渕川の遊歩道も整備され、中央地区周辺にはレストランが相次いで出店。 南北のショッピングタウンが散策しやすくなった。 |
2007年 平成19年 デパート出店ラッシュ続く |
![]() 4月21日ノースポートモールがセンター北駅にオープン。 これでモザイクモール・都筑阪急、港北東急、あいたいの5つのデパートが都筑区内に集結し、巨大ショッピングタウンが出現した。 画像はノースポートモール建設前の空き地沿いで開かれたフリーマーケットの風景 4月5日田園都市線は朝のみ混雑緩和のため、急行が準急になった。 7月20日港北MINAMO(みなも)がオープン。 都筑区初の天然温泉のスパが併設された。千葉、東京湾周辺の温泉に多い黒湯(ナトリウム-塩化物泉)だ。 |
2008年 平成20年 2本目の地下鉄が開通 |
3月30日市営地下鉄4号線グリーンライン(日吉〜中山間)が開通。 4両編成、コンパクトな車両が予想外のイメージ! 開通当時は駅プラットフォームにネオンサインがあったが、今はない。 開通でセンター北、南が名前通りの交通のセンターとなる。 2本の地下鉄の完成で港北ニュータウンのインフラ整備は完成を迎えたと言えるだろう。 3月5日コーナン港北センター南モールがオープン。 日曜大工店コーナンと大型電器店のエディオンが入る。 12月5日ヤマダ電機などを主力にしたルララこうほくがオープン。 一方、そのオープン前にジョーシン、ラオックスが撤退。 このように大型有名電器店が港北ニュータウンに進出しては消えてゆくことが過去、数知れず繰り返された。 |
2009年 平成21年 横浜市開港150年、都筑区区制15周年を迎える |
開国・開港150年を記念して開国博がみなとみらい地区、横浜北部等で開催された。 また1994年11月6日に旧緑区と旧港北区の一部が一つになって都筑区が誕生してこの年15年を迎えた。 都筑区の住居人口は15年前に比べ約1.8倍。 産業的には工業就業人口が0.8倍へ減少し、商業就業人口が2.5倍と爆発的に増加。商業人口が住居人口を上回る状況となった。 |
2011年 平成23年 激震の年 |
3月11日M9の東日本大震災が発生し、都筑区でも震度5弱を記録。 交通機関が全て止まり、さらに区内の一部で停電も発生。暗闇の街を歩く、多くの帰宅難民が生まれた。 区内ではイケア港北が寒さに震える帰宅難民向けに店内を休憩所として開放し、食事が無償提供された。 このように人々や企業が助け合う姿に心をうたれた。 一方、地震による大津波によって福島第1原発の電源喪失事故、水素爆発事故で放射能が大量に放出される大惨事となった。 さらに経済もユーロ金融不安、円高と立て続けに激動が起こり、市民、企業にとって二重苦、三重苦のまさに激震の年となった。 2011年末、ヨツバコがセンター北駅前にオープン |
2012年 平成24年 雲間に見えた金環日食 |
5月21日(午前7時34分頃) 横浜では金環日食がピークを迎えた。 朝から曇が深く垂れこめたが、幸運にも厚い雲がサングラスの役目をして、肉眼でも金環日食がハッキリと見ることができた。 しかし、外交面では暗雲が垂れこめ、尖閣諸島問題、竹島問題で揺れ続け、先が見えない状況となった。 ドイツクリスマスマーケットin都筑が初めて開催された。 2012年度末現在、都筑区には東京横浜独逸学園やドイツ系企業のBosch(ボッシュ)、TÜV(テュフラインランドジャパン)、 Festo(フエスト)、BJB梶AEmugeFranken(エムーゲフランケン)、Schmalz(シュマルツ)(都筑区北部からの立地順)などが進出。 多くのドイツ人も暮らしている。 |
2013年 平成25年 南北アベノミクス対決 |
10月25日 センター北駅前にプレミアヨコハマがオープン。最上階には区内初のライブステージが併設された。 このホールの床面には世界初のAIR免震装置が組み込まれ、ライブで盛り上がっても階下のフロアには振動が伝わりにくい構造という。 続いて、10月31日 センター南駅前のパルスポットが建て替えられ、サウスウッドがオープン。 |
2014年 平成26年 都筑区誕生20年。港北ニュータウン構想から50年 |
1994年の都筑区誕生から20年。1965年の横浜市の港北ニュータウン構想計画から実に約50年。 ようやく港北ニュータウンの都市景観はほぼ完成の域に達し、都筑区では都市計画の見直しが始まった。 交通など利便性、高齢化社会、緑の環境などに配慮したバランスのとれた新しい町づくりをめざすようだ。 |
2017年 平成29年 高速道路 横浜北線が開通 |
横羽線の生麦ジャンクションと第三京浜の横浜港北ジャンクションを結ぶ 8.2kmの高速道路 横浜北線が開通した。 これにより横浜港方面に10分短縮。羽田空港方面も10分短縮となった。 横浜北線開通に伴い、第三京浜の港北インター入口位置が従来とは大きく変わった。 また、東名高速道路への延伸工事も始まった。 |
2018年 平成30年 平成最後の年は災害の年 |
大阪北部地震、北海道胆振東部地震、西日本豪雨など日本各地に自然災害が相次いだ。 埼玉県熊谷市では歴代最高41.1℃を記録する猛暑に見舞われた。 都筑区でもこの夏38.9℃を記録し、さらに台風による強風で屋根などへの被害が相次いだ。 |
2019年 令和元年 令和のオジさん現る |
昭和31年4月30日をもって平成は終り、5月1日から令和となった。 平成のオジさんに続き、令和のオジさんも後にまたしても総理大臣となった。 |
2020年 令和2年 パンデミックで昔の生活が幸せだったことを知る |
中国武漢から発生したCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)は全世界に拡がった。 4月に全国に緊急事態宣言が発令され、人々の生活が一変した。 3密、ソーシャルデスタンス、リモートワーク、リモート飲み会、オンライン会議、Gotoトラベル、Gotoイート、 PCR検査、クラスター、アベノマスクなどコロナ由来の新語などが次々と生まれた。 12月31日時点の感染者累計数(集計時のズレにより人数ズレあり) 全世界 8,270万人(死者 180万人) 国内 23.6万人(死者 3,505人) 神奈川県 2.1万人 横浜市 10,158人 都筑区(12/24時点) 395人 この年、東名高速道路と第三京浜、横浜北線を結ぶ 7.1kmの高速道路 横浜北西線が開通した。 これにより東名高速から横羽線まで南北に結ぶ高速道路が開通した。 |
2021年 令和3年 パンデミック2年目 変異株に翻弄される世界 |
COVID-19は変異を繰り返しデルタ株が世界中に猛威を振るった。 ワクチンは国内では2月から開始されたが、当初は接種予約が取れない状況が続いた。 感染者が急増する中、7月に無観客での東京オリンピックが開催された。 日本では秋に感染者が一旦収束したものの、今度はオミクロン株が世界中で爆発的に拡がってきた。 12月31日時点の感染者累計数(集計時のズレにより人数ズレあり) 全世界 28,654万人 (死者 543万人) 国内 173万人(死者 1.8万人) 神奈川県 17,0万人 横浜市 69,798人 都筑区 3,443人 12月21日時点の横浜市のワクチン接種率 0才以上(2回目) 77.5% 接種可能年令12才以上(2回目) 85.6% また、8月に横浜市長選挙が実施された。カジノ誘致派の現職の林文子氏が落選し、山中竹春氏が新市長となった。 |
2022年 令和4年 住んで良かった街ランキングBEST100で第2位に輝く |
10月23日テレビ東京で放映。関東の街で実際に住んだことがある人26,180人が評価した結果を100位までランキング。 センター北・南が堂々2位を獲得。「環境 9.0pt」「商業施設の充実度 8.5pt」「おしゃれさ 8.3pt」「交通便 8.1pt」「飲食店の充実度 7.6pt」「家賃や物価等の生活コスパ 7.2pt」 東京へ行かなくても何でも揃う。スーパーが多く安いなどがコメントされていた。 ちなみに1位吉祥寺、3位元町中華街、6位みなとみらい、8位横浜、27位たまプラーザ。 グリーンライン川和町駅。閑散とした駅前だったが、そこに待望の大型商業施設フォルテ横浜川和町が8月に完成。スーパーマーケット ベルクがオープンした。 COVID-19の感染力は依然強いものの弱毒化。3年目にしてようやく普通の生活に少しずつ戻り始めた。 しかしこの年、最も大きなワーストニュースはロシアによるウクライナ侵攻。これにより世界的な人道、エネルギー、食糧、物価の危機に見舞われた。 |
2023年 令和5年 巨大物流センター現れる |
港北インターチェンジ近くの川向町南耕地地区に巨大物流センター DPL新横浜 全3棟が完成した。 横浜北線、横浜北西線の開通による交通インフラの充実。ネット販売の増加に伴う物流の増大に伴い3年前から農地から物流倉庫へ再開発が始まっていた。 COVID-19は5月から感染症分類5類に変更となり、ようやく行動制限もなくなった。 ところが円安が加速し、10月に150円/米ドルを突破。物価上昇するも賃金が上がらない日本経済。気が付けばいつの間にか貧しい国になっていた。 |
2024年(令和6年) 街の大きなニュースは特にありませんでした。 |