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第二章 放送戦国時代

 翌朝、朝のテレビは連休を楽しむ人々の様子を流していた。龍一は居間のソファに寝そべり、リモコンの多チャンネル対応のダイヤルをあてもなくグルグル回した。
 放送のデジタル化による多チャンネル化が進み、今や地上波、衛星放送などの電波放送のチャンネル数は公表六百にも達し、さらに通信回線系のウェブキャスト局が加わり、数千に及ぶチャンネル数となった。しかし毎日のように生まれては消えて行えてゆくチャンネルがあるためその実数はわからない。
 日本人がテレビを見る1日の平均時間は約4時間弱である。これはチャンネルが増えてもあまり視聴時間が増えるわけではない。そのため視聴者のチャンネル選択を獲得するため、二十一世紀は大手放送局から零細局まで入り乱れた群雄割拠の放送戦国時代に突入した。
 新規参入した中小零細放送局は大手が真似できないアイデア番組や専門性の高い番組で勝負を挑んだ。
 例えば符丁が飛び交い一般人には何を言ってるか全くわからない市場専門の放送局。可愛い女の子に申し込み殺到の友達募集専門の放送局。あるいは放送禁止用語続出の不平不満言いたい放題の放送局。カーマニア、ゲームマニアなどマニア専門の放送局。そして就職専門の放送局などまるでソドムの市を思わせるような多彩な放送局が誕生した。
 これら専門分野に特化した放送局の多くは、かつて二十世紀末に爆発的に広がったインターネットのホームページを利用した小さな個人放送局からスタートしたものだ。

 今や地上には都市間を結ぶ光ケーブル通信幹線が敷設され、宇宙には二百八十八個の低軌道通信衛星のメッシュを張り巡らして光速度の通信網が充実した。その結果、インターネットはもはや二十世紀のそれとは姿を一変させ、画質、大容量、スピードの3拍子揃った光速インターネットへ変貌した。
 個人放送局から台頭した有力局は光速インターネットを利用してハイビジョン並みの高画質のテレビ放送を行う商業放送局へと変身した。これがウェブキャスト局である。彼らは大手放送局と対等に視聴率を争う実力を備えてきた。

 その流れはスポンサー達を困惑させた。多チャンネル化で分散してしまった視聴者にCMのメッセージが思うように届かなくなってしまったのだ。宣伝効果が低下しているのにCM放送料ばかりが上昇してスポンサーの不満が募っていた。
 放送各社はスポンサーをつなぎ止めるために視聴率獲得にしのぎを削る戦いがますます激化していた。
 そのスポンサー獲得の戦いはついに大手放送局で不祥事を引き起こした。その第一報がテレビニュースで放映された。
「昨日、関東全域にわたる同じ系列の5つの総合病院から無断で患者3万人分のカルテの磁気データを盗み、大手放送局のプロデューサーに売り渡していた男が逮捕されました。このプロデューサーは自局のスポンサーに頼まれて断り切れずに・・・」ニュースが途中でプッと切れた。
 妹の麗子が寝起き顔で現れると、龍一の手からリモコンをサッと取り上げた。「こんなニュース、お兄ちゃんには関係ないでしょ。ちょっと貸してよ。」と麗子は言うと横浜ファインドワークス局にチャンネルを合わせた。
「就職専門番組なんか見るなんてどうしたわけだよ。就職はまだ先なのにもう就職の心配をしているのかい?」と龍一が言った。
「先輩が就職先が見つからなくって困っていてさ。それを見ていると私まで心配になってきたわ。」
 テレビ画面に若い女性レポーターが現れた。厚さ2センチもない薄い平面画面の奥にまるで人が本当に立っているような超多眼カメラを利用した立体映像が映った。「5月連休を迎え、今年の就職戦線は大手企業はすでに中盤を迎えようとしています。そこで今朝の突撃!就職ここが知り隊はその様子をお伝えしようと思いまして、コンピュータで有名なある大手企業にお邪魔しております。
ここでは連休中にもかかわらず採用面接が行われ、人事部の皆さんは休日返上で出勤していらっしゃいます。・・・おはようございますぅ。」
 画面の中にREX社のマークを見つけた麗子が声を上げた。「あっ、これ。お兄ちゃんの会社じゃないの?」
「おぉ、人事の連中だ。桐田に栗崎だ。こんなに朝早くから出勤してどうしたわけだ。」
「お兄ちゃんは会社へ行かなくていいの? いつまでも家でズルズルして。」
「大丈夫さ。今日は休日出勤だぜ。会議に間に合えばいいさ。」

 レポーターは人事部の桐田志郎に案内されて奥の部屋に向かった。
「今、ここには最終の役員面接に呼ばれた学生さん達が詰めていらっしゃるようです。皆さんとても緊張した様子です。我々取材陣が近づいてもピースする余裕すらないようです。」リクルートスーツを着込んだ学生達の多くはカメラが近づいた途端に目を伏せた。
「あっ、今一人、面接が終わって部屋を出てきた学生さんがいらっしゃいます。ちょっと様子を聞いてみましょうか。」
 レポーターは急に声をひそめると男子学生を掴まえてインタビューを試みた。
「どうでしたか。今の面接の出来は?」
「自信、全然ないですぅ。とてもあがってしまってぇ。」
「やはりテレビ電話で話したりする方が良いですか。」
「えぇ。電話で話したり、電子メールは得意なんですがぁ。直接話すのはどうも苦手でぇ。どこを向いて話していいのか。困ってぇ。」

 レポーターは案内役の桐田に尋ねた。「テレビ電話で面接する方が早いと思うのですが、やはり会社まで呼んで面接することに意味があるのですか。」
「今、重要視しているのは人前で直接、まともに話ができるかどうかですね。機械を通さないと会話できないような学生は企業人として困りますからね。最近は事務合理化により事務職の採用が減少して営業職の採用が増えていますから、対人関係を嫌う人間なんかに営業は勤まらないですからね。」
 かつて二十世紀末にインターネットが出現した頃は電子メールを使いこなせないと就職に不利になるかどうかと真剣に議論された時代があったが、二十一世紀の今ではそのような愚問を問う学生はいない。それほどまでに電子メール、テレビ電話が浸透してきた。
 しかし、それにつれて端末を通じた仲間同士の会話はできても、顔を直接付き合わせて話ができなかったり、仲間以外との接触を極度に嫌う社会性を失った人間達が増えた。
 例えばメーリングリストという同じ趣味の人間の電子メールのアドレスリストを手に入れれば、仲間だけの閉鎖的な世界に浸ることができる。
 この排他的な社会現象が企業に危機感を与え、テレビ電話が普及した二十一世紀になっても人の採用には直接面接を重視し続けることになった。
 例外的にテレビ電話で面接するのは海外に就職する場合だけである。

 通路に差し込む朝日の間をレポーターと桐田は共に歩きながらインタビューした。
「直接面接とは人間くさいやり方ですね。もっとコンピュータメーカーらしくコンピュータを駆使した方法があるのかと思いました。」
「そうですね。こちらの方にコンピュータを使ったチェックがありますよ。」
 桐田はレポーターを案内して人事部のフロアに入ると、ある端末をレポーターに見せた。しかしカメラには端末のモニター画面を映すことが許されず、端末の背面だけが映った。
 レポーターだけがモニター画面を覗き込んで言った。「ほう。すでにモニターには面接をした役員の人達の採点結果が表示されているようです。合計点も表示されています。・・・うぅん。なるほどそうですか。今の学生は合格でしょうか。」
「それはちょっと。今はお答えするわけにはいきませんが。」
 レポーターは急に周囲に首を回すと別の端末に興味を持った。「こちらにもう一つモニター画面がありますが、これはどんなチェックをしているんですか。」
「あっ、すいません。それはちょっと遠慮していただけますか。企業秘密なもので。」
 レポーターにもモニター画面を見ることを禁じた端末の前に桐田が立ちはだかった。

 すると画面を凝視していた麗子がきいた。「あれは何か知っている?」
「今の男は同期の桐田だ。あいつ女子社員にモテモテなんだぜ。」
「そんなこと聞いてないわ。はぐらかさないで教えてよ。何、あの機械は?」
「内緒にしてくれよ。彼に見せてもらったことがあるが、あのモニター画面と同じものが面接している役員達の前にも表示されているんだ。そこには履歴書とか、学校の成績表や適性検査の結果などが表示されているだけなんだ。」
「その程度のことなら、あんなに必死に隠すことないのにね。」
「あぁ。そうさ。本当に隠そうとしているのは、もう一つ奥の端末さ。これは教えられないよ。」
「来年早々には私だって就職活動するのよ。そういう情報を知らないばっかりに落ちたらどうするの。お兄ちゃん責任とれるの?」
 龍一はしばしためらったが変に責任転嫁されても困ると思い直した。「わかったよ。教えるよぅ。あの奥の端末の前に女性がいるのがわかるか。」
「女の人が何か操作しているようね。」
「あれは面接会場に置かれたカメラからのモニターだよ。学生には内緒だけれど、彼らの顔の体表温度を測定するサーモグラフィと、目や手の動きを追うカメラ装置につながっているんだ。」
「へえぇ。警察の取り調べみたいね。それは嘘発見器なの?」
「いやちょっと違うんだ。嘘発見器は人の体にセンサーを直接取り付けて調べるが、あの装置は人に触れずに人の動きをカメラで追跡して調べるものなんだ。嘘を見破るのは難しいが心理状態ならば、かなりチェックできるんだ。」
「とんでもない機械を作っているんだねぇ。」
「まあね。僕の会社はREX社だからね。コンピュータでできることなら何でもあるさ。あの装置は新製品の面談サポートシステムとか言うもので、先週から試験的に使ってデータを集めているそうだ。あれは肉眼ではわからない心の動きを読めるんだ。心臓に毛が生えている人間とか。あるいは緊張してピリピリしているのが手に取るようにわかるらしいよ。サーモグラフィで本当に顔が青くなる様子がわかるそうだ。」
「うわぁ、ヤダぁ。心の奥まで覗こうとする会社なんか受験するのはご免だわ。サイテー!」と麗子の目は急に軽蔑のまなざしに変わった。
「でも、この機械の診断結果は参考にするだけだよ。あくまで決めるのは面接官自身の判断だと桐田が言っていたよ。」
「でも私は遠慮するわ。お兄ちゃんの会社に就職することだけは絶対にないわ。あぁヤダ、ヤダァ。こんな会社、まっぴら。」と麗子は言うとさっさと洗面所に姿を消した。

 テレビはCMに変わった。龍一は古いパン焼機から上がる香ばしい匂いに釣られてバターも付けずに口に放ばった。テレビの画面下に電子メールが届いたことを知らせるアイコンが点灯した。
「麗子! メールだよ!」と龍一は叫んだ。
「ふぇっ。手が放せないからメール読んでよっ! パスワードは知っているでしょ。うぐっ。」と麗子が歯磨きしながらやって来た。
「おい、汚ねえな。口から泡をこぼすなよ。歯磨きは洗面所でしろよ。」と龍一は小言を言いながらメールを開いてやった。
 麗子のパスワードを打ち込むと画面に英語のメール文が表示された。画面右にサリーが現れてぶっきらぼうな翻訳で読み上げ始めた。「おはよう。岩下雪江さんへ連絡です。こちらはソリッドイマジュ社です。貴女とテレビ電話で面接を希望です。明日、日本時間で午前七時。可能ですか。貴女の都合を今日午前九時までに連絡してください。」
 麗子が洗面所から濡れた顔のまま、すっ飛んで来た。「きゃあ大変! ニューヨークの会社からだわ。雪江先輩に連絡してあげなくちゃ。」
「どうして岩下雪江さん宛のメールがうちに来るんだ?」
「雪江先輩の家にはテレビ電話が無いから会社の面接を受けられないのよ。それで私の所を連絡先にしてあるの。」
 岩下雪江と麗子はラッフルズ英会話学校で知り合った仲で、麗子はまだ大学3年生だが岩下雪江は4年生のため就職活動の真っ最中である。
「こんな朝早くから連絡をよこせとは慌ただしい会社だな。」と龍一は柱時計を見上げて言った。
「しようがないわよ。時差が確か十時間位あるから向こうはもうすぐ夜よ。」
 麗子はテレビのリモコンを耳に当てて電話に切り替えると岩下雪江を呼び出した。
「どうしよう。呼び出しているけど、つながらないわ。先輩ったら家にいるのかしら。ねえ、お兄ちゃんどうしよう。」
「もしかして今日は休みだから彼女、まだ寝ているかもしれないぞ。」
「そうよねぇ。その可能性あるわ。お兄ちゃん。電話を呼び続けてね。私は先輩の実家に電話してみるから。」
「こんな事していたら本当に今日の会議に遅れてしまうよ。」と龍一はブツブツつぶやきながら電話を呼び続けた。
 しばらくすると龍一の電話にやっと応答があった。電話口には眠たそうな声が返ってきた。「ふぁい。誰なの。」
「おはようございます。早瀬の兄です。」
「おはよ。えぇと何だっけ、麗子のお兄さんね。ふぁぁぁ。」
「そうです。ソリッドイマジュ社から急ぎのメールです。」
「そんな店で何か買った覚えないわ。」
「覚えていないのですか。面接のアポイントをしてきています。」
「ひぇぇ。面接するって言ってるのぅ。あっそう、そう、思い出したわ。それってニューヨークの会社でしょ。もう三十社近く応募してきたから、すっかり忘れていたわ。」
 岩下雪江にメールの内容を説明すると雪江は眠気を一気に吹き飛ばしたように喚声をあげた。そして一面識もない龍一を相手に友達同士のように大喜びでしゃべり始めた。「うわぁ。うれしいわ。ありがとう。やっと面接に漕ぎ着けたわ。神様は私を見捨てていなかったのね。今までイバラの道だったわ。本当にありがとう。
それでさ。もしニューヨークに来てくれって言われたらどうしよう。ねえ、ねえ。女一人でニューヨークに暮らすのは危険よね。そう思うでしょう・・・。それから英語ももっと覚えなくちゃね。アメリカに引っ越ししたら、お隣の家にも挨拶は英語なのかしら。
やっぱり挨拶の手土産は手拭いで良いのかしら。手拭いって英語でジャパニーズタオルって言うのかな。やだ! 違うわよね。やっぱりハンドタオルよね。キャッハハハ。それからアメリカ人のお友だちを作ってさ。パーティをして・・・」
 龍一は電話の向こうで延々としゃべり続ける電話を麗子の手に渡すと、龍一は麗子に黙って目で合図した。麗子も目で了解すると電話を引き継いだ。そして龍一は急いで玄関を飛び出すと会社へ向かった。

 小さな公園のアスレチックの丸太を飛び越え、造成地の石垣の上を平均台のように渡り、子供の時から慣れ親しんだニュータウンの抜け道を通って駅に向かった。
 雪江には煩わされたが、あまり腹は立たなかった。雪江の嬉しそうな声を思い出すと朝から爽快な気分になった。もう雪江の気持ちはアメリカに飛んで行ってしまっているのだろう。人が夢を語るのはいつでも楽しいものだ。龍一もそんな夢が少し欲しくなった。

 そして駅の長いエスカレーターに飛び乗った。美並由美子と昨日ここからシアターへ行ったことを思い出した。エスカレーターがゆっくりと上昇するにつれて胸がときめき、指先に柔らかな感触がよみがえってきた。募る気持ちが龍一をはやらせた。
 エスカレーターが階上に到着した時、龍一はバックの中のネックレスをもう一度しっかりと握りしめた。


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