文字の大きさはメニューバーの表示(またはオプション等)のフォントで調整できます。

▽文末へ   ▽17章へジャンプ   △前章 15章へ   △小説目次へ   △ホームへ

第十六章 貸し出した脳ミソ

 岩下雪江は朝からいつものように就職専門の横浜ファインドワークス局にテレビのチャンネルを合わせた。
 雪江は米国ソリッドイマジュ社での反省からテレビ電話を買いこみ、今日は万全の体制で望んだ。テレビ電話とはいえ、外観は普通のテレビとほとんど同じである。違うのはテレビのリモコンが受話器になり、カメラがテレビの上部に付いていることである。雪江はアンテナ線、CATV線、電話線、電気などがひとまとめになったIHSコンセントにプラグを差込んでスイッチを入れた。
 初めに番組画面のメニューで就職斡旋を選択すると、そこは自分の希望職種や希望勤務地などを入力するようになっており、その場で会社を何社でも紹介してくれる。
 雪江は自宅から通勤できる範囲の会社を検索すると百八十六社も紹介してきたが、どれもピンと来ない会社ばかりで選ぶのに困ってしまった。全部チェックしたら徹夜になるだろう。
 前回のソリッドイマジュ社での英会話での面接に重いものを感じて外資系会社をあきらめ今度は日本人相手の仕事を考えた。銀行ならいきなり外国へ飛ばされる心配もないだろうという単純な発想だった。
 網にかかった市山銀行を選択してみた。すると市山銀行のホームページが開いた。
 ホームページは各社が趣向を凝らした会社の説明や、入社した先輩達の談話などを色々と見たり、電子メールを通して直接先輩達に質問することもできる。気に入ればメールで自分の履歴を送り応募申し込みができる。このような会社案内サービスは二十世紀末頃から主流になってきたスタイルで今ではごく普通のことになっていた。
 市山銀行の先輩達の談話を読み進むと、どうやら銀行の名前が存続して新人募集に漕ぎ着けたことを素直に喜んでいるようだった。雪江は何のことかわからずホームページを一旦閉じて、新聞社の記事検索サービスを選択した。
 市山銀行の危機をキーワードに検索すると、市山銀行はバブル崩壊後の多額の不良債権を抱え、金融ビックバンの波に耐え切れずに倒産の危機に直面していたことが載っていた。
 その後、徹底したリストラで大規模な人員整理を行い、かろうじて危機を免れたことがわかったが、雪江は厳しそうな雰囲気を感じて市山銀行へのアクセスを打ち切った。
 今日もこの調子で何十社も当たるのかと思うと憂鬱だった。独りでに溜息が出た。

 雪江は出だしの不調な横浜ファインドワークス局を見限って、別の就職専門の富士パワーワークス局へチャンネルを切り替えた。
 チャンネルを合わせると今日はいつもとは様子が違っていた。画面にいきなり「プロファイラシステム適性検査による就職予備テスト」を受けるか、どうかを尋ねてきた。
 雪江は予備テストならばと軽い気持ちで受けることにした。
 簡単な本人確認と希望職種などの入力を済ますと、すぐに一般的にPSTと呼ばれる適性検査によく似たテストが開始された。PST適性検査は数万社で利用されている普及率の高い適性検査だ。
 従来ならば紹介された求人先の会社に最初に履歴書などを提出して書類選考を受け、その選考に残った学生だけがその会社に呼ばれてからPST適性検査を受けるものだ。
 しかし今回は会社の紹介もなく、書類選考を飛ばした上に就職斡旋側でいきなり適性検査するのは異例づくめだった。一体どういうことなのか、雪江はわからないままテストを受けた。

 プロファイラ適性検査は性格テストから始まった。それは二者択一のテストだった。
 問題が1問画面に出てから解答できる制限時間は7秒間で、その間にa、bのどちらかを入力しないと無解答となる。制限時間が来ると問題が画面から消えて次の問題に移るので、前の問題に戻ることはできない。ペーパーテストなら前の解答を手直しできるところだがコンピュータ相手ではそれも不可能だ。
 答えられなければ決断力が欠如していると判断されてしまうはずだ。雪江は必死で次々と出される問題と格闘した。

「a仕事ができる人間になりたい。 b心のわかる人間になりたい。」
「a私は物事を良く考えてから行動する。 b私はすばやい行動力がある。」
「a人の真似はしたくない。 b人の良いところは取り入れたい。」・・・テストは延々と続いた。
 今までに大学でPST適性検査の予行演習をしていたので、どのように答えれば良い性格に見られるか、教えられてはいたが、こうも間断なく質問責めに会うと前の設問で答えた事と後の設問で答えた事が矛盾しそうで頭がオーバーヒートしてきた。

 プロファイラ適性検査は性格テストが終わると言語力、論理性、数量処理、事務能力のテストが延々と続き、最後に自分の売込み、希望の業種、興味などをを入力し終わると、ようやく苦行から開放された。気が付くと2時間半があっという間に過ぎていた。
 エアコンの利いた部屋なのに額から汗が滴り落ちてキーボードを濡らした。ぐったりとして目はうつろに宙を彷徨い、キーを叩きまくった手首が痺れはじめた。
 ようやく考える時間が戻ってきた。まるで貸し出していた脳ミソをやっと返してもらったようだった。画面の「しばらくお待ちください。」の文字でしばしの休息の時間を与えられた。
 呆然と画面を眺めていると、ふと雪江は不審に思い始めた。履歴書すら出していないのにテストを先に行って一体何をしようとするのだろうか。何もわからないまま画面からの応答を待ち続けた。

 突然、嬉しいニュースが飛び込んできた。「貴女の適性検査の結果に対して第1次選考を通過しました会社が5社あります。貴女が希望すれば当番組よりご紹介いたします。」
 雪江は思わず万歳をした。だれもいない部屋に歓喜の声があがった。雪江はアイドルポスターの前に駆け寄った。「やったぜ!」と言うとポスターの顔にパンチを食らわせた。
 ボコッと襖がポスターごと凹んだ。「ごめんね!」と独り言をつぶやくとポスターにキスをした。
 画面に5社のプロフィールが表示された。もし今までの方法で1次選考まで通過する会社を5社も確保しようとしたら、たぶん数十社以上の会社に何十日もかけて会社訪問しなければならなかったはずだ。それがたった2時間半で5社もクリアした。この驚異的なスピードに歓喜した。
 紹介してくれた会社の中で宝和バイオソイル社に注目した。土壌改良事業で急成長しているのはなんとなく知っていたが、こんな景気の良さそうな会社が今まで採用枠が残っているところを見るときっと追加募集があったに違いないだろう。一番にその会社を選んだ。

 画面に女性の採用担当者が現れた。早速、雪江も待望の最新型の米国製電話カメラのスイッチを初めて入れて自分の映像を送った。宝和バイオソイルの社名からして日本の会社なのだろう。安心して担当者の言葉を待った。
 採用担当者は急にぎこちない英語で喋り始めた。雪江は動揺した。相手の顔はどうみても土着の日本人なのだ。雪江は「アイム ジャパニーズ! アイム スピーキング ジャパニーズ!」を連呼した。
 雪江自身は自分が絶対に日本人に見える自信だけはあった。鼻だって、足だって縄文人の特徴を備えているはずだ。やはり履歴書を送っていないのが間違いの原因なのだろうか。
 すると相手があわてた様子でメモ用紙に何か書くと画面の前に広げて見せた。「翻訳モードをオフにしてください。」
 雪江はスイッチを見てびっくりした。日本語を英語に翻訳して受信していたのだ。米国人向けに初期設定されているのに気がつかなった。海外通販で安く買ったのが裏目に出てしまった。
 相手の担当者が口元で笑いを堪えているのが雪江には辛かった。今、雪江が席をはずしたら相手はすぐに同僚にこう言うだろう。「うちの網にかかったオッチョコチョイがいるんだけどさ。どうしようか。」「一応、受付けしてさ。そんなアホはテキトーな所で切っちゃえばいいんじゃないの。」
 雪江は想像しただけで絶望的になった。

 相手は事務的に面接の予約を求めてきた。相変わらずニタニタと笑いを堪えながら採用担当者は言った。「面接に来社していただきたいのですが、ご都合が悪ければテレビ電話でもお受けできますが、いかがでしょうか。」
「ぜひ会社にお伺いしたいと思います。」
「そうですよね。当然ですよねぇ。それがよろしいかと思いますよ。」と相手はホッとした表情に変わった。
 雪江はせっかく大枚を叩いて買ったテレビ電話の「MADE IN USA」の文字を恨めしげに眺めた。


 翌日、岩下雪江は大学の食堂で手にトレーを持って、空いている席を探してウロウロしていた。昼の学生食堂は満席で熱気でムンムンしていた。
 早瀬麗子が遠くの席から手を振っていた。人を掻き分けて麗子の向かい席に座るとその隣にはステディーの木佐口ディアンが座っていた。
「あっ、デートの最中だったの。ごめんね。」と雪江は言った。
「いいの。気にしないでね。それより、雪江先輩。今日は何か良いことあったんですか。今日はずいぶんリッチじゃないですか。」
 麗子達がコロッケカレーを食べていたテーブルに雪江はミニステーキを載せたトレーを置いた。
「昨日ね。いっぺんに5社も一次選考に合格したの。今日は午後から面接に呼ばれているの。これ前祝いよ。グッフフ。」
「どうしたんですか。急に5社も。お水関係にでも志望を替えたんですか。先輩ならそっちの世界でも通用する魅力ありますよ。ねぇ、ディアンもそう思うでしょ。」
「僕もそう思います。就職決まったらお店紹介してくださいよ。ウッグッ!」テーブルの下で足が動いたらしく急にディアンが顔をしかめた。
 雪江は自信ありげに答えた。「そうよ。顔だって、脚だって、どこだって魅力あるに決まっているじゃないの。ちゃんとした日本人に見えるでしょ?」
「まあねぇ。血統書付きって感じね。で、一体どこへ面接に行くんですか。」と麗子がきいた。
「面接先は水じゃなくて、たしか土関係ね。」
「つち?」麗子はコロッケを口に挟んだまま、キョトンとした。
「実はね、昨日すごいラッキーな番組を見つけたの。」と雪江は富士パワーワークス局での意外な体験を語った。
 ディアンが横から口を挟んだ。「その事、今日の新聞で見たよ。」
 彼はクリスマスの電飾を埋め込んだ派手なバインドコンピュータをテーブルに置くと電子新聞を画面に呼び出して見せた。新聞によると富士パワーワークス局が昨日からスタートした画期的な就職システムによって学生は就職活動の苦行から開放されるだろうと伝えていた。
「記事の扱いは小さいけれど僕の教室では今朝からこの記事の噂で持ちきりさ。まだ就職先が決まっていない先輩達が午後の授業を放り出して家に帰り始めているよ。みんな家で番組にアクセスするらしいんだ。」とディアンはキャンパスの動きを伝えた。雪江が昨日アクセスした番組が正にそれだった。

 噂はさらに広がり、一週間後には夕方のゴールデンタイムのテレビニュースにも紹介された。大学の就職課を取材した録画が流れ、レポーターが様子を伝えた。「この画期的な就職斡旋システムがスタートして1週間が過ぎました。早くも影響が現れはじめているようです。ご覧のように大学の就職課では会社紹介を受けに訪れる学生がすっかりいなくなり、就職課は開店休業の様相を呈しております。」
 就職課の職員が手持ちぶたさな様子で新聞を読んでいる姿が放映された。カメラはそのま教室へ切り替わった。
「さて、こちらは教室です。どうです。学生がちゃんと授業を受けていますね。当たり前ですよね。しかしこの当たり前の風景が実はつい最近まではあり得なかったのです。学生達は就職活動に明け暮れていた頃は授業に出る学生がサッパリだったようですが、それが今では、少しずつですが学生が学校に戻ってくるようになりました。」

 映像は変わり秋葉原の電気街に移った。インタラクティブTVの梱包を重そうに抱える学生をつかまえてインタビューすると、その学生が素直に答えた。
「この最新式のテレビじゃないとプロファイラテストを受けられないので、バイト代叩いて思い切って買っちゃいました。でも、これでむやみやたらに会社訪問なんかしなくても良いなら安いもんですね。だってバイト休まなくて良いんだもの。アッハハッハ。」

 ニュースは最後に学生を採用する側の企業の担当者の顔をぼかして声だけをダックボイスに変えて伝えた。
「うちにわんさと来る学生を今まではね。手間暇かけて選抜していたんだけど、プロファイラシステムにして楽になりましたねぇ。こんな事を学生に言っちゃ失礼なんだけどさ。最初の足切りを就職斡旋会社の方でまとめてバッサリやってくれるんだもの。仕事が半分になりましたよ。ありがたいですねぇ。
それに履歴書も今までの薄っぺらなものと違って、かなり詳しいレポートを貰えるんで参考になりますねぇ。あっ、これ喋っちゃいけなかったんだよね。オフレコ、オフレコにしてよ。」
 就職予備校と呼ばれていた大学が教育機関としての機能を取り戻し、企業は採用にかける労力が削減され、産学両面で大歓迎されている様子が放映された。



 ある1台の携帯テレビにも同じテレビニュースが流れていた。そのテレビの周りには若い男女社員が車座になって見入っていた。
 ニュースが終わると遠州丸の座敷にどよめきと喚声が起こり、手にしたビールで勝手に乾杯が始まった。すると幹事役の若い男が「まだ、乾杯は待って下さい。社長が来るまで暫く、暫くお待ちください!」と言って先輩社員達に頭を下げて回った。
 その幹事の背後で声がした。「全員集まったようだな。さぁ。始めてくれ。」
「あっ。鹿島社長! おめでとうございます。富士パワーワークス局に提供したプロファイラシステムにものすごい反響が来ているようですね。」
 鹿島はクライアントの富士パワーワークス局への初仕事を記念した内輪の祝賀会に馳せ参じた。

 宴会も佳境に入ったころ、総務部長の竹中栄次郎が鹿島のところへ酌をしに来た。竹中は元は東海センサス社の総務課長だったが、鹿島の作った会社が有望と見て自ら志願して来た男だ。
「鹿島社長に、そんなにかしこまれると恐縮します。」
 竹中総務部長は鹿島の部下であるが年上である。鹿島は居ずまいを正すと竹中の酌を受けて言った。「私のような若輩者が社員達をまとめていくには至らぬことがあると思います。労務キャリアのある竹中部長を頼りにしていますよ。」
 竹中は社長になっても謙虚な姿勢の鹿島に好感を持った。竹中は鹿島の会社に移って来てハズレではなかったと思った。
 竹中は鹿島の返杯を受けると言った。「私は人事採用を二十年以上もやらせてもらってきましたが、履歴書なしで一次選考するなんて初めて聞きましたよ。いったいプロファイラシステムというのはどういうものなのですか。今さら人事担当の総務部長が若い連中に聞くのも恥ずかしくてね。」
 若手社員がはしゃぎながら一気飲みする部屋の隅で、鹿島はこの会社に着任したばかりの竹中を相手に説明し始めた。
 プロファイラシステムから得られるデータは学生達の個人情報の塊である。履歴書に書かれているような学歴や家族構成などはもとより、所属団体、宗教、疾病、犯罪歴からアルバイト経歴まで到底、履歴書には書かれることのない日常の顔を知ることが可能である。
「しかしプロファイラシステムのデータは万能ではありません。人を雇うのに一つ足りないデータがあります。」と鹿島が問いを出した。

 そこへ酔っぱらった男性社員が一人フラフラとやってきて鹿島と竹中の座に割り込んできた。男は鹿島に酌をしながら、くどくどと絡んだ。竹中がすばやく酔っぱらいのゴキゲンをとってかわすと男は別の社員の所へ絡みに去った。
「竹中さん。酔っぱらいのあしらいも、なかなかのものですね。」
「そう言っていただくと恐縮です。まぁ、こんなこと位が私の唯一の取り柄ですけれど。」
「その取り柄こそ総務部長にぴったりであるように職業が性格的に合うかどうかが重要なのです。」
「つまり足りないデータとは職業の適性とか、あるいは学生の潜在能力とかいうことですかね。」
 鹿島は崩した膝を叩いた。「その通りです。雇い主がもっとも知りたいのは会社の仕事に向いているか、将来の能力がどの程度かどうかです。しかし性格ほど調べるのが難しいものはありません。」
「そうですね。それを調べるためにうちでも色々な適性検査を行っていますが。」

 適性検査は通常、就職先の会社で実施される。検査は会社で独自にテストを作成することもあるが、ほとんどの会社では検査専門会社からPSTなどのテストを1人分当たり数千円で買い、学生にテストをしている。
 テストの解答書は検査専門会社へ送ると採点と診断評価を行い、すぐに送り返してくれる仕組みになっている。そして診断結果はほぼ全てが数値化され、性格テストの評価さえ点数で示されたレポートが送られてくる。
 PST適性検査には「性格テスト」。言語力・論理性・数量処理能力を見る「基礎能力テスト」。「事務能力」「一般常識」「語学力」などの各テストがあり、あるいは職業適性検査として「ソフトウェア開発適性検査」などのテストがある。
 それらは各社の都合に合わせて自由に組み合わせできるようになっており、一通り全てテストする会社も少なくない。

 テストがどのように診断されているのか、性格テストでの例をあげてみる。
 性格テストの性格分類は検査専門会社によって様々だが、一例として外向性、理性、調和性、柔軟性、情緒安定性の5つの尺度で点数がつけられる場合を説明しよう。
「外向性」の尺度では外向性と内向性の2つの対極にある特性のうち、どちらの傾向が強いかを点数で示される。外向性点60点ならば外向性60%、内向性40%の意味であり、やや外向性が強いことがわかる。
 同様に「理性」が45点ならば、理論的判断傾向が45%、現実的が65%という意味で、物事に対する見方が理屈よりも現実的経験を重視する傾向があることを示している。
 その他の性格評価として、対人関係を他人の感情や調和を重視するか、あるいは筋道や公平な判断を重視するかを見る「調和性」。
 周囲の変化に対して柔軟的か、あるいは変化にとらわれない計画性重視かの傾向を見る「柔軟性」。活動的か、あるいは落ち着いているかの傾向を見る「行動性」。感受性が強いか、あるいは楽観的かの傾向を見る「情緒安定性」。

 そしてこれらの総合的点数による判断により性格をタイプ別に分類して、どのような性格かコメントが付される。
 外向性60点、理性45点、調和性54点、柔軟性62点、行動性53点、情緒安定性61点と評価された場合、実際のレポートではグラフ化され、かなり詳しくコメントされるが心理学の専門家でもなくても簡単に性格傾向を理解できるように配慮されている。
 そしてレポートの最後にまとめとして要約した評価コメントが記載されている。この評価点ならばこのようなコメントが記載される。「社交性を発揮し、楽天的で他人に寛容である。物事に対して臨機応変に対応できるが、目先の現実にとらわれることが多い。批判に対しては内省心に欠けることがある。」

 これら性格診断の難しい点は性格評価の結果がどの程度正しいかどうかである。診断を迷わせる原因は受験者が望ましい性格に見せかけようと背伸びすることである。それを判断するために本音で答えているかどうか、受験態度をチェックする方法がテストの中に隠されている。
 その方法とは性格テストが1問当たり7秒程度の非常に短い時間で矢継ぎ早に解答させることで考える余裕を奪い、直感的な本音を引き出す。
 そして同じ意味の設問を言葉の表現を変えて繰り返し出題することで、同じ設問同士の解答の食い違いを調べれば良い。解答間の矛盾度が低ければ性格診断の信頼性が高いことがわかる。

 このような適性検査を企業が求める理由は、三十分程度の短い面接ではうかがい知ることのできない人格を知るためである。
 ところが各社で行っている適性検査が同じ検査専門会社から支給されるPST適性検査のテストを使っているため、学生があちこち受験しているうちにテストに慣れてしまう欠点が生じてしまった。特に性格テストは習熟してしまうと真の姿がわかりにくくなってしまうのである。
 その上、書店にはPST適性検査対策の本が山積みされ、学校によっては学校ぐるみで適性検査の模擬テストを行っている有様だ。
 鹿島はこの現状を打破するため習熟しにくい検査方法を考えた。それは受験回数を減らすのが最善だった。就職先の会社でそれぞれ行っていたテストを辞めて、就職斡旋会社でまとめてテストすることにしたのである。これで三十社でテストを受けていた学生は1回で済むはずだ。
 その結論がプロファイラ適性検査の登場である。

 竹中はうなづいて納得したようだった。「なるほどね。履歴書もいらないから学生も警戒せずに予備テストのプロファイラを受けるでしょうね。それにむやみに会社訪問する必要もないし、雇い主は手間が省けるし、どちらにもメリットがあるようですね。」
「その通りです。一番メリットがあるのは我々ですよ。」
「我々に?」
「私の本当の狙いはあのプロファイラから得られるデータです。あのように信頼性の高い性格診断結果など他では絶対に手に入らない貴重なものです。それを他の検査専門会社に任せていたのではみすみす宝の山を跨いでいるようなものです。私はあのデータを使って何十倍もの商売をしてみるつもりです。」
「もしやマーケティングに流用してみるつもりですか。」
「その通りです。ワン・トゥ・ワン・マーケティングを追求していけば必ず顧客の性格に合わせた販売戦略が必要になるのです。学生だって就職すれば購買力がつきますから、大切な消費者でもあるわけです。」
 ウェブキャスト番組でのテストは通信回線を使い、鹿島ブレインリサーチ社の超並列コンピュータへ送られプロファイラシステムで処理される。鹿島はそこから手に入れた学生のデータを東海センサス社のマーケティング業務に提供しようと考えていた。つまり一人の学生から2度商売できると踏んだのである。
 耶麻霧社長、大村専務が社内の反対を押し切ってまで畑違いの就職事業に進出しようとした真の理由がここにあった。
「だからプロファイラ適性検査はタダ同然の料金で商売できるのです。もうまもなくPST適性検査から我社のプロファイラへ乗り越える企業が波のように押し寄せてくるはずです。」と鹿島は自信に満ちた顔で語った。
 竹中は就職からマーケティングリサーチまで股に掛けた遠大なプランに鹿島の計り知れない野心の深さを知った。

 宴会も終盤になりかけたところで社員達の携帯電話がひんぱんに鳴るようになった。テレビニュースの影響が早くも現れだしたのだろうか、クライアントからの問い合わせに追われはじめた。
 クライアントの所へ飛び出して行く社員で宴会の席に空きが目立つようになった。
 竹中は鹿島に言った。「折角みんな集まってのお祝いだったのに何だか寂しくなってしまいましたね。」
「もうこれっきり、全員で集まれることは当分ないだろうな。さぁ、明日からはもっと忙しくなるぞ!」鹿島は竹中が注いだビールを豪快に飲み干した。


 鹿島ブレインリサーチ社の活況は東海センサス社の評判にも波及した。鹿島の思惑通り性格データをマーケティングリサーチへ活用するアイデアは企業各社のマーケティング担当者の注目を密かに集めた。
 二日酔い気味で出社した鹿島のもとへ評判を聞きつけたラレンツァ自動車の葵純代から早速、テレビ電話が入った。「鹿島さんに勧められたパーソナルCMの効果が出てきたわ。ターゲットの若い女性層からの反応が返ってきて、うちの営業マン達も忙しくなってきたわ。おかげで売り上げも上向いてきたし感謝します。」と葵は顔をほころばせて言った。
 葵の晴れやかな表情とは裏腹に鹿島はズキズキする頭に閉口した。だが顔に出ないようにガマンして電話カメラの前で振る舞った。
 葵は言った。「せっかく顧客が戻ってきたのに今までの営業のやり方ではまた顧客を逃がしてしまうと思い、本格的なワン・トウ・ワン・マーケティング体制を導入したわ。先日、鹿島さんのMRIをモニターさせてもらって気が付きました。うちは顧客本位の営業をしていたとはとても言えなかったわ。」
「それは良いことです。効果ありましたか。」と鹿島は言った。
「もちろん大ありです。営業マンが今まではむやみやたらに顧客を回っていたのが、顧客のデータベースを事前に調べてから事に当たるようになったのは進歩したわ。鹿島さんに電話したのはそのことで聞きたいことがあってね。ちょっと耳にした噂では鹿島さんの所で学生達の適性検査のデータも集めているそうね?」
 葵はそこまで一気に喋ると鹿島の顔色をうかがった。
「ほう。どこで聞きましたか。」
「マーケッター仲間の間では遂に性格データを集めるのに成功したリサーチ会社が現れたって評判よ。性格データを集めるのは誰もが不可能と思っていたから驚くのも無理ないと思うわ。もしその噂が本当ならば、そのデータをうちにも使わせてもらえないかしら。顧客と商談をうまく運ぶには相手の性格データもぜひ欲しいのです。ガッティーナは若い人達をターゲットにした車だから学生のデータなら打ってつけと思うわ。お願いできないかしら。」
 葵はプロファイラのデータに触手を動かしてきた。まさに鹿島が意図した通りの展開に彼の口元に笑みがこぼれた。今まで頭痛があったはずなのに手だけが頭を押さえているのに気が付いた。葵の電話は二日酔いの良い薬になった。

 鹿島のビジネスはトップランナーとしてスタートを切ったことはもはや疑いようもなかった。トップの宿命は2番手の追随をいかにして振り切り、トップの座を守りきるかである。
 鹿島は電話を終えると窓の外を見た。低い雲を従えて富士山の山頂が浮かんでいるのが見えた。富士山は日本のトップであるからこそ周りの山々を圧倒する威容を誇れるのだろう。トップである富士山を知らない人はいないが、日本で2番目に高い山を知っている人はほとんどいないだろう。2番手では存在している意味などない。
 トップだからこそ人々の評判を呼び、信頼され、大きな成長をとげることが約束されるはずだ。トップだからこそ、いずれ世界を制覇するチャンスも与えられるだろう。鹿島はその夢を富士の威容に重ねて決意を新たにした。


▽次章 17章へ  

△文頭へ   △前章 15章へ   △小説目次へ   △ホームへ