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第二十一章 ツリーに飾られた涙のオーナメント 2か月余りが過ぎたクリスマスイブの日。テレビでは今年も暖冬でスキー場はどこも雪不足の様子を伝えていた。 その頃、鹿島哲也達は次々とその勢力を拡大しつつあった。それに反撃するべくブロブシーガル社の開発もようやく終盤を告げ、年明けにはプロミネンスを全国のウェブキャスト局に売り込める見通しとなった。 年内の完成をめざしてデバックとよばれる動作チェックと調整の最終段階を迎え、龍一達は事務所に連日泊まり込みの毎日が続いていた。 その最後の追い込みに没頭していた龍一のもとへ夕刻近く一本の電話が届くと、龍一はフッと事務所から消えた。 龍一は駅へ急いだ。電話で指定された駅前広場に行くと佐藤友康が待っていた。龍一の姿が見えると佐藤が駆け寄って来ると挨拶もそこそこに龍一に耳打ちした。「早瀬ちゃんさ。私があれほど変な女に捕まらないようにと言っていたのに。何よあれ?」 そう言うとイルミネーションに飾られた街路樹の光の陰から島本真知子が遠慮がちに顔を出した。 「あれって、あれは島本真知子さんだろ。彼女がどうかしたの?」 「どうかしたのだってぇ。こっちがそれを聞きたいわよ。彼女ね、うちの並列COM応用開発部に訪ねて来たのよ。早瀬ちゃんが退職したことを知らなかったみたいなの。会社辞める時には女の始末もちゃんとしておきなさいよ。ったく。」 龍一は何も答えられず、一方的に佐藤にまくし立てられた。 「彼女ね。すぐに帰ろうとしたのよ。三島からわざわざ来たのだから、ちょっとブロブシーガル社へ寄るように勧めてみたの。だけどグズグズ悩んじゃって行こうとしないのよ。どうやら早瀬ちゃんから転職先を知らされなかったのが、だいぶショックだったみたい。」 「教えたくなかったわけじゃないが・・・。」 「イブの夜に女が独りぼっちで帰るのってミジメでしょ。ちょっと可哀想になってさ。早瀬ちゃんの所まで私も一緒に付いて行ってあげるって言ったら、やっと来る気になったのよ。そういう訳だから、ちゃんとあの女にケジメを付けなさい。わかったぁ?」 「う、うん。わかっているよ。」 「いったい、本命は誰なのよ? 遊びであちこち女を作っちゃ嫌よ。」 「遊んだつもりは無いんだが・・・。」 「自分にそのつもりがなくても気を付けなくちゃダメよ。あういう純な女をからかうとあとでヤケドするわよ。・・・まぁ、せっかく遠くから出て来たのだから観覧車でも乗せてあげなさいよ。その位のサービスはしてあげなくちゃね。」 龍一はコクリと頷くと佐藤は真知子を呼びに行った。そして佐藤は龍一に真知子を引き会わせるとすぐに帰って行った。 「あのぅ。これあげます。」と真知子はポツリと言うと金のリボンに結ばれた小さな赤い包みを差し出した。真知子の様子は先日、横浜のハードロックカフェで会った時より更にブルーな感じだった。 駅前デパートにある観覧車はビルの真ん中から巨大な茎が延びて空に広がるヒマワリのようにも似て、そしてクリスマスの雰囲気を盛り上げるネオンがその巨大なヒマワリを夕空にぽかりと浮き出させていた。 観覧車の箱の中で龍一は真知子から視線をそらしたまま、二人は沈黙した。 その重苦しい空気の中で龍一は手にした包みを開けてみた。中からサボテンの形のクリスマスツリーが現れた。龍一の顔に笑みが浮かぶと真知子の顔にも初めて笑みを見せた。 観覧車はゆっくりと上昇を続け、遠くに横浜港のランドマークタワーの白い明かりが見えた。 真知子は用意してきた質問のように唐突に言った。「あのぅ。新しい会社はどういう会社なのですか。」 「会社と言っても社員がたった3人の小さな会社ですけれど・・・」と龍一が説明し始めた。説明を聞く真知子にとって、それはつかの間の至福の時だった。その時間は瞬く間に過ぎ、箱は次第に高度を下げてきた。 真知子は幸せの時間の終わりを惜しむように近づきつつある地上を覗いた。すると真知子は地上を歩く一人の女に注目した。「あっ! あれは美並さんじゃないかしら!」と小さく叫んだ。 美並由美子は真知子に気が付かないまま立ち止まると、携帯電話を取り出した。 真知子は言った。「あの人がもし美並さんならば、この近くに住んでいるのかしら。ベイシティシステム社を辞めるって電話で知らされたきりだけれど、今どうしているのかしら? 結婚でもしたのかしら。何か聞いています?」 「いや、働いています。」 「この近くで? 何処に勤めているのですか?」 「今は僕と一緒に働いています。実は彼女が社員3人のうちの一人なのです。」 「ということは、貴方があんな立派なREX社を辞めてしまったのは彼女と一緒になるためだったね。信じられない。きっと彼女に転職させられたのね。」 「違う、これにはわけがあるんだ。」 突然、龍一のポケットの携帯電話が鳴った。それは由美子からのコールだった。 眼下では由美子が携帯電話を耳に当てていた。 「わけって、やっぱり貴方と美並さんは!」と絶句したきり、真知子の口元が震えた。突然、龍一が呼び止める間もなく、真知子は開いたドアーを飛び出した。 龍一が追いかけようとした時、ツリーに飾られたガラス玉のオーナメントが1つ揺れて落ちた。その銀色のガラス玉は床を転がり龍一の足元で止まった。 一方、龍一が佐藤友康に電話で呼び出されて事務所から出ていくのと入れ違いに桜川咲が事務所を訪れた。 「プロミネンスのデバックがもうすぐ終わると聞いたから前祝いに来たのよ。いよいよゴールね。皆さん、ご苦労様でした。みんなにクリスマスプレゼントよ。」と咲はシャンパンとミニチュアの小さなクリスマスツリーを差し出した。 「嬉しいな。そうだ! 皆、今日はイブだから今からやろうじゃないか。」と清水が提案した。 「いいわね。やりましょうよ。駅前までケーキ買いに行ってくる。」と由美子は言うと事務所を出て行った。 清水と咲の二人きりになると咲は清水の座る椅子の背後に立ち、清水の肩を揉みながら言った。「疲れたでしょ。清水君が身体壊すんじゃないかって心配してたの。」 「心配してくれてありがとう。貴女に肩なんか揉ませて坂堂社長に怒られそうですね。」 「坂堂は坂堂。咲は咲よ。どう、気持ちいい?」 触れるだけでもシビれる肩の痛さが咲の手で次第に消えて心地よい気持ちになった。 「最高です。今までで最高のクリスマスプレゼントです。でも私なんかにこんなことしても良いのですか。」と清水は目を閉じて言った。 「私なんかって、どういうこと? 坂堂の目が気になるの?」と咲はきいた。 「いや。」清水は一言だけ言って押し黙った。 「はっきり言いなさいよ。こいつ!」と咲は思い切り力を入れて肩をつねった。 「痛っ! おおっ痛た。わかった。言うから放してくれ。・・・早瀬さんのこと、どう思っていますか。」 「どうって言われても困るわね。早瀬君はうちの会社を救ってくれたわ。それは清水君も由美子も同じよ。貴方達にはとても感謝しているわ。」 「私がここまでやってこれたのは会社を救うためではありません。貴女のためにやってきたつもりです。」と清水は言った。 咲は清水の顔を覗き込んで言った。「咲のため? だって坂堂社長に直接、この開発をやらせてほしいって訴えたのでしょう?」 清水は何も答えずにミニチュアのクリスマスツリーを手に取り眺めた。ツリーには銀色をしたガラス玉のようなオーナメントが散りばめられていた。しかしツリーを見る目は何かを思いつめたように虚ろだった。 咲は清水の言葉の意味を考えたまま何も言わずに肩を揉み続けたが、次第にその手の力が緩くなってきた。 咲の手が止まってしまった時、清水は意を決したように沈黙を破った。「早瀬さんが秘書室に入った時、偶然私は見てしまいました。貴女が哀願している姿を見て悲しくなりました。私が貴女のために何も力になれなかったことを悔やみました。私は・・・」 清水が告白しかけたところで咲が言葉を遮った。「嫌っ。どうして見ていたの。嫌っ。嫌っ!」と咲は叫んだ。咲は清水から後ずさると突然、部屋を飛び出した。 清水は叫んだ。「そんな意味で言ったんじゃないんだ!」 彼は咲の後を追いかけた。咲は由美子のプライベートルームへ逃げ込んだ。清水は仕切のドアーを叩き咲の名を叫んだ。 何の返答もない様子にドアーを開けるとすでに咲の姿は消えていた。咲の去った部屋で静かにオーナメントの小さなガラス玉が転がった。玉はテーブルを滑り落ちるとゆっくりと床を転がり、やがて清水の足元で止まった。 イブの夕べに二つのオーナメントが涙に飾られた。 大晦日、ブロブシーガル社に佐藤友康と坂堂社長がプロミネンスの試作品を見るために訪れた。佐藤友康にとっては彼自身が開発したレックス・アルケィミストが面談サポートシステムとうまくマッチングするか気にかかっていた。 「プロミネンスのテストをするならば面談サポートシステムの部分を先に見せてくれないかしら。」と佐藤は龍一に頼んだ。 「OK。それでは面接官と学生の役を誰かにお願いしたいですね。やはり面接官は坂堂社長にぜひお願いします。」 龍一に指名を受けた坂堂は快く引き受けた。「おぉ、いいとも。ところで学生役は誰にしようかね。」 「清水ちゃんがいいわ。坂堂家のお嬢様のお友達として相応しいかどうか面接するのって良いと思うけどなぁ。」と佐藤が推薦した。 「それはマズいよ。今はマズいよ。もし変なデータが出てきたら困るよ。」清水は真顔で両手を振って断った。 しかし佐藤は「そういうマイナス指向はダメよ。もし良い結果が出れば坂堂社長のお墨付きになるかもしれないわよ。そうでしょう? 坂堂社長。」と強引に坂堂に同意を求めた。 「ま、そう言うこともあるな。儂は一向に構わないよ。」 渋る清水をおだて上げて何とか坂堂の前に座らせた。ちょうど坂堂と清水がテーブルを挟んで対面する体勢となり、二人の背後から2台のカメラが狙った。坂堂は手慣れた調子で学生に面接するのと同じ質問を始めた。 カメラは清水の視線の動き、瞼のまだたき、手の動きがミニパコムの4分割された画面にリアルタイムに表示されると佐藤、龍一、由美子がそれを見守った。 1つの目の画面には清水の半身像が映り、その上から手の動きを示す赤い線と顔の向きを示す青い線が重ねられた。そしてサーモグラフィで清水の顔と手の体表温度の変化がカラーで刻々と表示され、 2番目の画面には坂堂の半身像が映っていた。そこには清水の視線が合っている坂堂の身体の場所が映像上に赤い線でトレースされた。 3番目には声紋の変化によるストレスの度合いが計測されていた。 そして最後の画面にはそれら総合的な分析結果が刻々と表示された。 「君がこの会社を選んだ理由を述べてください。」と坂堂が無表情で質問した。 「やはりブロブディンナジオ社を救うためでしょうか。」 清水は抽象的な質問に対して左側に顔を向けて答えることが多かった。これは論理的な思考よりも比較的情緒的な思考で考える傾向を示していた。左目は右脳につながっており右脳の支配する情緒、イメージ思考が優先されやすい。左脳は論理性、理知的思考が優先される傾向がある。 また清水の視線が坂堂に合わされる回数もトレースされた。視線の合う量は通常値と変わらず分裂症、躁うつ症のそれとは異なる診断が表示された。 面接印象をデジタル化する意味は経験豊富な面接官が直感的に感じ取っていた人物評価を科学的に計測できることである。これこそ人を見る目というものがデジタル化されたのである。 佐藤が横からちょっかいを出して清水に尋ねた。「桜川咲さんについてどのように思われますか。」 「それは・・・。友達として仲良くしていただいております。」 手の赤いトレース線は頻繁に口元に集まり無意識に手で口を塞ぐ動作が見られた。また視線が坂堂の目から逸らされ、空間を定まることもなく赤いトレース線は忙しく彷徨った。 手で口を塞ぐ動きは心の内面を隠そうとする心理が働いている。視線をそらす動きが多いのも話題から逃避したい内的心理を示し、体表温度の変化はかなりの動揺を表示していた。 由美子がデータの急激な変化に気が付いて言った。「止めましょうよ。あまりプライベートな質問はいけないわ。この機械で心の奥底まで入り込むのはタブーのはずよ。」 由美子の一言でカメラのスイッチが切られた。しかし清水の目は依然として宙を彷徨ったままだった。 佐藤は不用意な質問をしてしまったことを清水に詫びると清水は目を閉じて言った。「何も心配いりません。お嬢様は良い友達に過ぎませんから。」 清水を取り巻く彼らはその言葉に隠されたものを感じた。 |